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トレーラーを牽いて15年。自走に乗り換えて4年あまり、これまでのことを書き綴っておこうと思います。
長くなるので各紹介については左側メニューから入ってください。

軽コロ史 〜第一章〜 『 キャンピングカーとトレーラー 』

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私の原点は20代の頃、定年間近だった私の父が2tトラックを購入し、キャンピングカーに改造したことに始まります。
「宿泊を気にせず遠くに旅したい」という発想のもとに作り始めた車ですので、いわゆる「キャンプを楽しむ」ためのものではありません。
製作は主に父が行い、私はインターネットで法規制などを調べていましたので、キャンピングカーの構造要件というものはこの時に初めて知りました。

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トラックの購入が息子の生まれた約一ヶ月後、そんなこんなで一年近くもトラック改造の手伝いをしていましたが、自分自身が学生時代に自転車で旅行していたこともあり、「キャンプ=野営」という考え方からなかなか抜け出せず、遠くに行く時間も目的も無ければこんな車は自分には必要ないと思っていました。
やがて、トラックが完成したのは、大夢がようやくつかまり立ちを始めた頃でした。

詳細は『 My Father's Camping Track 』を参照ください。

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定年退職した父は、改造を終え正式に登録したそのトラキャンで母と一緒に2年間、全国を走り回って旅を楽しんでいました。
念願の北海道にも2回行けたのですが、もともとベース車が2t車であったため、車検と税金がもの凄く高く、退職後の父にとっては大きな負担となっていました。
※ナンバーは8でしたが、荷室だけの改造ということでいわゆるキャンピングカーとしての登録ではなかったのです。

その後結局、父はトラックを手放してしまったのですが、時を同じくして私はインターネットで維持費について調べているうちに、キャンピングトレーラーというものを知ってしまいました。

軽コロ史 〜第二章〜 『 第一次妄想期 』

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トレーラーを知った私でしたが、当時は全く目にする機会もなく、こんなものを持っている人が本当にいるんだろうか?と思っていました。
2003年10月3日、新たな情報を得るためTrailer Mailing Listに参加しました。
その頃の私の家族は軽自動車(スズキMRワゴン)を使って日帰りの旅や観光旅館を予約しての旅行などを楽しんでいましたので、自分のハンドルネームを軽自動車の俗称である「軽コロ」としてMLデビューしました。
しかしカミさんは、トレーラーには猛反対でした。キャンプ経験もないし、ましてや両親とのトラック改造を見てきたカミさんからすれば、「異常な人たち」としか見られなかったのかもしれません。

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TMLに参加して僅か2ヶ月後の2003年12月、地元広島でTMLオフが開催されました。
参加しても見るだけになるし、反対意見のカミさんを連れて行く理由もなかった矢先に、メンバーさんのトレーラーに私たち家族を泊めて頂けるという話があり、初のオフ会参加となりました。
オフ会で、たくさんの方のトレーラーを見られたこと、そして使い心地を聞くうちに、カミさんもトレーラーを持ちたいという心境の変化がありました。
さらに、このオフ会から僅か一週間後、参加メンバーさんからヘッドとトレーラーをセットで譲って頂けるという話があり、晴れてトレーラーユーザーとなりました。
初代トレーラーWISP400/4の詳細はこちらを御覧ください。

このTMLオフが開催されていなかったら、今の私は無かったと思っています。

オフ会の詳細は画面上メニュー『 Camp 』の中のメニュー最下部の 出動FileNo.0 岩倉温泉オフを参照ください。

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当時、最初のトレーラーWISP400/4をインターネット検索しても詳細な情報が得られなかったため、今度は自分が発信しようと2004年2月10日にHPを開設しました。
HP名のK-Colonyとはハンドルネームの軽コロにも掛かってはいますが、本名『 工藤 』の移住地という意味も持たせています。

軽コロ史 〜第三章〜 『 WISP時代 』

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トレーラーを手に入れてからの生活スタイルは、それまでとは大きく転換し、週末となればトレーラーを牽いてお出かけというスタイルになりました。
またトレーラー購入と同時にHPを開設したこともきっかけとなり、トレーラー仲間も徐々に増え、オフ会等の誘いも多くなっていきました。
あまりキャンプは得意ではありませんでしたが、この頃からだんだん「キャンプ=野営」という考え方は薄らいでいきました。

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最初のWISPでは年間20回ペースで出掛けていましたので、我ながら濃い年月だったように思いますし、HPのスタイルが定着したのもこの頃で現在のベースとなっています。

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使い勝手の観点から改造もよくやりました。あまりに改造しすぎてリア部分は原形をとどめていないほどでした。
写真はリアの二段ベッド化ですが、私やカミさんの両親を連れていけるよう就寝定員を増やしたいということからでしたが、トレーラーの大きさが変わるわけではありませんので、改造の限界を感じていたのも確かです。

DIY詳細は画面上メニュー『 Trailer-DIY 』のWISP改造の紹介を参照ください。

軽コロ史 〜第四章〜 『 第二次妄想期 』

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2004年夏、とある旅の途中で泥よけを修理したものです。
トレーラーが古いので、いろんな材料や道具を常時積んでいましたが、この修理の際トレーラーの床板に少し違和感を感じました。

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2年間使用したWISPの床に致命的問題が発生していました。
前々のオーナーさんの時代にフロント収納にエアコンの室外機を積んでいて、長年牽引されず放置されていたことから床板の腐食が進んでいました。
応急処置を試みましたが、走行中にフレームと分離してしまう恐れもあり、売るにしても個人売買は危険で、処分するにもどうしたら良いかわからないでいました。

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ちょうどその頃、AntaresLux426という大人4人+子供2人が就寝可能なトレーラーがあることを知り情報を集めた結果、(株)キャンピングカー広島が中国地区の代理店であったこと、壊れたWISPを下取りしてもらえるとのことで、新車への乗り換えを決意しました。
二台目トレーラーAntaresLuxe426の詳細はこちらを御覧ください。

しかしこの時、浮かれていた私は重大なミスを犯し、とあるキャンプ仲間を通じての購入ルートも模索していたにもかかわらず、結果的にその仲間への裏切り行為をしてしまい、それまで誘っていただいていた仲間との交流はもちろん、オフ会からも遠ざかっていきました。

軽コロ史 〜第五章〜 『 Antares時代 安定期 』

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キャンプ=野営だと言っていた自分が、キャンプの楽しさを知ったのもAntaresになってからでした。
相変わらず改造もしていましたが、サファリルームの製作など、よりキャンプを楽しむことも増えていきました。

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相変わらずDIY癖は治っていませんでした。
ただWISP時代と違い、元が新車でもあったためデザインや仕上がりには気を遣っていました。

DIY詳細は画面上メニュー『 Trailer-DIY 』のAntares改造の紹介を参照ください。

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もうひとつは息子が成長し、トレーラーの設営や連結を手伝ってくれるようになったことが大きかったと思います。
ただ、彼は最初はウチがWISPだったことはあまり覚えていないらしいですがオフ会が好きでしたので、徐々にまたオフ会への参加も増えていきました。

軽コロ史 〜第六章〜 『 Antares時代 低迷期 』

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カミさんの仕事のシフトが変わり、あまり連泊ができなくなったのと、息子も中学に進みクラブ活動などですれ違うことも多くなりました。
息子の友達を一緒に誘ったり、カミさんの好きなスタンプラリーなどの企画とセットにしてみたり新たな方向を模索し始めました。

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ウチは車内での調理が主体でDIYもそれが元となっていたものが多かったのですが、そういうスタイルになってから、キャンプからも遠ざって外食が多くなり、調理すらしなくなっていきました。
もうひとつは息子も成長し、出掛けた時くらいは美味しいもん食べたいということもあり、家族旅を継続するためにそうしたことも否めません。

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広島東洋カープに新井選手と黒田選手が戻ってきた頃から、それまで見向きもしなかった野球中継を欠かさず見るようになり、息子も高専に入り親元を離れてしまったことで、さらに出る機会が減ってしまいました。
これではダメだとトレーラーの寝心地改善のため畳化もしましたが、今考えると出られないことへの不満とストレス解消の暇つぶしだったように思います。
結局畳化して旅に出たのは四度ほど。
あんなに最初のうちは年間20回も出ていた軽コロ家もトレーラー14年目では、ついに年に一度しか出ませんでした。

軽コロ史 〜第七章〜 『 第三次妄想期 』

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Antaresが6回目の車検となった2017年暮れ、使わなくなったトレーラーと今後について真剣に考えるときが来ました。
ひとつのきっかけが夏に経験した二度目のデリカのバッテリー切れ。デリカもトレーラーを牽くときにしか使わないので、非常にもったいない状況でした。
トレーラーを停めている駐車場も年間\120,000の出費で年に一度の使用では全く意味がありません。
そこでトレーラーを手放す代わりに思い切って自走に乗り換えることにしました。

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乗り換えを決意したものの、大きさ・種類・装備・レイアウトなど総合的に自分のスタイルに合致する車などはありません。
考えた末に行き着いたのがワンオフ車(ワンオフ=一度限り作られるという意味)でしたが、市販車と違って改造要件を新たに申請したり、安全基準を満たす必要があるのでショップに依頼する場合は2〜3割高になります。
しかし、気になる部分を残してしまうと、また改造を始めてしまう恐れもあるのでショップと入念な摺り合わせのうえ、ワンオフ車の注文に至りました。

詳細は『 PLACE-CAP CUSTOM 』の中の「 起案〜打ち合わせ 」を参照ください。

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2018年12月、ついに完成しました。
軽コロ家初の自走となりますが、旅のスタイルもまた変化していくと思います。
詳細は『 PLACE-CAP CUSTOM 』の中の「 最初のPLACE-CAP CUSTOM 」を参照ください。

軽コロ史 〜第八章〜 『 PLACE-CAPになって 』

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自走になって楽になったのは、連結・切り離しがなくなったこともありますが、あまり道の広さを気にせずに済むようになりました。
我が家の旅はほとんどが目的を決めない「行き当たりばったり」が多いので、そういう意味では非常に助かるのですが、反面何も考えないので今までにも増して、ダラダラ走り回ることが多くなったようにも思います。

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旅をする以前に乗車定員の多いクルマでしたので、息子の高専ロボコン等の応援やら宿泊施設を利用してカミさんと互いの両親を連れての観光なども、ゆったりと走ることができました。
ただ、息子が社会人になってからは別世帯で離れて暮らすようになったため、夫婦だけでの旅も多くなり始めました。

軽コロ史 〜第九章〜 『 PLACE第二次カスタム 』

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バンコンで座席数が多くてトイレも付いている車となると、全面ベッドか全面座席かどちらかの状態でなければ使えません。
一見当たり前ではあるのですが、トレーラーだとベッドはそのままでも走行時は牽引車(ヘッド)へ乗車するので、このストレスがなかったのです。
そして時が流れるにつれ、互いの両親も老化と身体の衰えで旅をするのが困難になり、コロナが猛威を奮いだすうちに、旅はおろか日帰り観光でさえもしなくなっていきました。

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多人数で使う必要のなくなった車で相変わらずベッドメイキングが大変な今の状態では、コロナが落ち着いたところで再び夫婦で出る気にならないかもしれないと、今更ながら後悔し始めていました。
そこで思い切って座席部分をもう一度ショップにて作り直していただき、乗車定員も減らして再登録してもらうことにしました。
随分勿体ない話ではあるのですが、短い期間だったとはいえ当初目的は十分果たせたのと、いずれにしてもコロナで出かけられない今だからこそと踏み切りました。

詳細は『 PLACE-CAP CUSTOM 』の中の「 第二次カスタム 」を参照ください。

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2023年3月、ついに第二次カスタムが完了し、理想の形となりました。
ただ、カミさんの母親が相当弱っていて毎週カミさんが帰省する状況なので、なかなかコロナが落ち着いても出られない状況が続いていますが、機会を見ながらぼちぼち活動を再開していきたいと思います。